市川 広一郎 さん
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卒業
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現在のお仕事
同窓生へのQ&A
白根高校で思い出に残っている
出来事は?
私は自宅が増穂町にあり、入学当初は白根高校まで毎日自転車で通学するのが不安でした。
しかし先輩に話を聞くと『当たり前』のことらしく、女子でも自転車通学をしているという事にとても驚きました。帰りは下り坂なので良いのですが、登校する時は登り坂なのでかなり辛く、夏は灼熱の太陽を浴び、冬は八ヶ岳おろしを受け遅刻と戦っていたような気がします。雨の日は傘さし運転で(ダメです!)校門での検問で傘を没収されたのも一本や二本ではありませんでした。(涙)
今でも小笠原の町のあたりを通ると高校生活が懐かしく思い出されます。
学園祭では2年生と3年生の時、同級生とバンドを組んで出場したことが思い出に残っています。確か2年生ではLOUDNESSを3年生では洋楽を演奏した記憶があります。夏休みに勉強もせずに(夏休み以外もしなかったのですが...)ギターばかり弾いていましたね。その甲斐あってかどうか分かりませんが、一瞬だけ私にもファンのような存在が現れ、ちやほやしてもらったことは良い思い出です。
私たちは第7期だったという事もあり、学校がまだ新しかったので、良く掃除をさせられた記憶があります。
通常の掃除とは違い機械を使ってワックスがけを全校生徒総動員で行っていた事が何故か心に残っています。
今でも機械でのワックスがけはしていますか?いつまでも私たちの母校「白根高校」が奇麗な学校であって欲しいです。
現在のお仕事は?
私は現在、昭和町で建築・不動産リース業の会社を経営しております。
大学受験に失敗し日本のバブル景気も弾けた頃、今思えば父が私の行く末を案じ小さな会社に席を用意してくれました。まだ若かった私は猛反発し「親父とは一緒に仕事をしたくない!」と思っていました。自分が情けなく、大人になったつもりなのに親に甘える自分がたまらなく嫌だった記憶があります。母親や周囲の説得もあり入社しました。
嫌々始めた仕事でしたが新築の住宅建築にたずさわり、お客様の喜ぶ様子を目の当たりにして仕事の面白さを少しずつ感じていくことができました。怒られ、すねたり、喧嘩もしましたが、創業から20年を節目に父から引退の話が出たとき、「親父とは一緒に仕事をしたくない!」と当時思っていた自分の気持ちは、「まだ教えてもらいたい、一緒に仕事をしていたい」という気持ちに変わっていました。
親父の体力的な問題もあり6年前、父親から会社を引き継ぎました。
私が代表になった今も、父の口癖であった『約束は守れ!』『自分の目で確認をしろ』をモットーに地域に貢献しながらこれからも頑張っていきたいです。