小林 義仁 さん
-
卒業
-
現在のお仕事
同窓生へのQ&A
白根高校で思い出に残っている
出来事は?
私たち3期は昭和61年の入学で、私たちの入学により3学年が揃い、総合竣工式が生徒玄関前で挙行されました。この年は県で初の国体「かいじ国体」の開催年で、ホッケー少年男子の応援に行ったことを覚えています。
部活動は、現在は廃部となってしまった剣道部に所属しました。入学当時剣道部はなく、同級生4人で同好会から活動を始めました。
当時柔道部はありましたが、武道館の板の間は、どの部も使っていなかったのも幸いしました。2、3年生の先輩方でスポーツ少年団や中学校剣道部に所属していた剣道経験者をお誘いしましたが、(予想どおり?)誰も入りませんでした。顧問は剣道経験者の先生がいなかったため、当時居合道していた学年主任にお願いしました。
厳しい顧問や怖い先輩のいない、自由な部活でしたが、実績づくりには苦労しました。学校での活動だけでなく、同級生を頼りに巨摩高との合同稽古や練習試合を行い、それぞれの出身スポーツ少年団での稽古や各種団体が主催する大会への参加を積み重ね、翌年には新1年生も2名入部し、公式戦への出場資格(団体戦5人制)も取得し、同好会から部に昇格しました。公式戦初出場は昭和62年の新人戦でした。
私は生徒会にも所属していましたが、ルールや伝統のない真っ白な状態での活動は苦労もありましたが、伝統の1歩目を造る楽しみもありました。学園祭でキャンプファイヤーを計画しましたが、職員会議でボツになったにもかかわらず、その後校長室に直談判に行ったりと、やりたいことに一生懸命エネルギーを使っていました。ちなみに直談判も却下されましたが、翌年条件付きで許可をもらい実施できました。
現在のお仕事は?
県外の大学卒業後、山梨に戻り山梨県職員の農業土木職という職種で採用され、農政関係の業務に従事しています。主な業務は農業の生産基盤の整備や農村の生活環境の整備といった農業農村整備事業の実施です。具体的には、農家の方が品質のよい作物を効率よく栽培できるように、農道や農業用の水路、農地の区画整理やため池等の整備をしています。
現在は農業振興や農村整備の計画や推進、地域の方による共同活動の支援や鳥獣被害対策といった幅広い分野を担当しています。
家が果樹の専業農家だったこともあり、農業分野での仕事をしたいと思っていましたが、地域の役に立ちたい、人のためになるような仕事がしたいとの思いもあったので、この仕事を選びました。農家の方が、これからも農業を職業として続けられるよう、また全国有数の山梨の美しい農村風景が次世代への財産として引き継がれるよう、微力ながら支援したいと思います。